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四葉のクローバー/晴れの国岡山から

犬養毅(犬養木堂)

岡山県岡山市(現在では)生まれの犬養毅(犬養木堂)は、昭和6年1931年)12月、76歳の時、第29代の総理大臣となったが、 翌年5月15日、首相官邸において政府の方針に不満を持った青年海軍将校の凶弾に倒れた。これがあの有名な5・15事件(五・一五事件)だ。
 最後に、青年海軍将校に向かって「話せばわかる」「問答無用」と言ったという言葉が有名だ。家族の話によると、玄関にいた警備人を破って5人の将校達が突然家に押入って来た。銃撃音が響き、近くに居た警備人が軍人が来たからすぐに逃げるように言うが、その場に孫や嫁や妻もいたようで、その家族を守るために「待て、撃つのはいつでも撃てる。話を聞こう」「話せばわかる」というような状況であったようだ。
 憲法を守り、選挙によって国民に選ばれた代表者による、話し合いの政治を目指した犬養毅。戦争のない世界で、他の国とともに栄える日本を作ろうとした犬養毅。
  犬養毅(木堂)の死後、日本は政党政治に終わりを告げ軍部によって第二次世界大戦へと導かれて行くこととなった。

  犬養毅(犬養木堂)の略歴

◎安政2年4月20日(1855年)6月4日備中、賀陽郡庭瀬村(岡山市川入)に庄屋、犬飼源左衛門の次男として生まれた。学問が好きで字が上手で、11歳の時から漢学を学ぶ。
◎1875年夏東京へ出て英語を学ぶ。1877年郵便報知社から西南戦争の取材を頼まれ最前線から記事を送る。記事が評価され犬養毅の名が全国で有名になる。
◎1881年統計院に入り大隈重信の下で働いたが、政変で2ヶ月で退職。
◎1882年東京府議会議員当選。(大隈重信の立憲改進党に参加した)
◎1890年第1回衆議院議員当選。
◎1898年岡山県初の大臣、文部大臣となる。
◎1923年(大正12年)9月1日関東大震災、翌日9月2日犬養逓信大臣誕生し、郵便貯金の払い戻し手続きを簡単にしたり、切手の至急手配や震災復興に力を尽くしたが12月27日虎ノ門事件が起こり、山本内閣は総辞職した。
◎1924年二度目の逓信大臣に就いた。犬養毅の念願だった普通選挙法案可決された。同時に治安維持法も成立し、政治活動や社会運動が厳しく取り締まられ、軍部の力が強くなった。
◎1931年満州事変、国内でも重要な人が暗殺された。
 12月に第29代の総理大臣となった。犬養毅は軍部に対して一刻も早く戦争を止めるように主張。
◎1932年(昭和7年)5月15日、凶弾にたおれ77歳で逝去された。

 このように素晴らしい政治家が岡山県から出たことを誇りにするとともに、現在の政治の様子を犬養毅が見たとしたら何と言われるか。
 75年を経ても、人類は戦争を無くすことはできないし、その火はまさに燃え広がっているという情け無い状況である。国内では政治家とお金の問題で大臣の自殺や緑資源機構の理事自殺があり、政治の暗部が浮き彫りにされている現状である。

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