四葉のクローバー/晴れの国岡山から

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長崎と坂本龍馬

坂本龍馬像
 長崎の風頭公園の見晴らしのよい高台にこの坂本龍馬像が立つています。私は、高知県の桂浜の坂本龍馬像も見たことがあります。同じようにブーツをはいて、腕を組んでいたように思います。坂本龍馬のことは殆ど知りませんでしたが、今NHKの「龍馬伝」の放送もあって少しわかり始めました。全国でも今龍馬ブームのようです。
 龍馬はかなりの地域を移動しているようです。高知生まれで東京へ剣術修行へ、長崎で亀山社中という商社をつくり、京都で33歳で亡くなりました。
 坂本龍馬の一番の功績は、明治政府の構想を作ったということだと思います。
亀山社中
 亀山社中は、のちに海援隊と名乗りました。海運業、通商、商業活動や倒幕運動などにも加わったようです。龍馬は紀州や土佐などの脱藩浪人とともに活躍しました。
 館内には、龍馬のブーツのレプリカ、書状の写し、海援隊士の写真などが展示されているようです。一般300円、開館時間は9時から17時、年中無休です。
司馬遼太郎と竜馬
 司馬遼太郎は、33歳で亡くなり歴史に埋もれていた坂本龍馬を「竜馬がゆく」という小説を書いて、一躍有名人に押し上げました。江戸末期に生を受けて新しい時代に遭遇した龍馬は、新しい政府のあり方を構想した人と書かれているようです。(まだ、読んでいません)
 今テレビでも、黒船ペリー来航により、文化の違いにショックを受けた坂本龍馬が描かれています。吉田松陰、桂小五郎とも会っていましたね。龍馬は自分から求めていろんな師に会って学んでいったようです。勝海舟、西郷隆盛などとも会っています。
 龍馬は33歳であまりにも若くして亡くなりました。生きていたら明治政府の重鎮として力を出していたかもしれません。
 司馬遼太郎は、小説では「竜馬」と表記しています。実際の龍馬に会ったわけでもないので、竜馬とされたのでしょうか。龍馬に対する敬意の表れだとも思います。
 また、坂本家は下級武士だったのになぜたくさんの財力があったのかということをテーマにしたテレビ番組を見たことがありますが、その時には、坂本家は明智光秀の子孫ではないかという説をとっていました。お墓の家紋とかも調べたようでした。歴史には、まだまだ謎が多くありますね。

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コメントコメント


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歴史

四葉ちゃん、坂本龍馬なんてタイムリーな場所に
行ってきたんですね。って、我が家は連続物は
見ませんが。

33才かぁ~。昔の偉人って若くして亡くなる人が
多かったですよね?あ、ハワイの王族たちもみな
若くして亡くなってますよね?カイルア王女とか。。。

四葉ちゃんの旅行記って勉強になりますね。

ヒロコ | URL | 2010年02月19日(Fri)13:02 [EDIT]


ヒロちゃんへ

ヒロちゃん、こちらにもコメントありがとう。v-238
私は、連続物をよく見ます。たまに見逃すけれど気にしないです。
実は、龍馬のことは殆ど知りませんでした。でも、今回の旅行で調べたり、テレビを見たりで少しわかって来ました。なので、これからも「龍馬伝」をもっと楽しく見られそうです。v-55

よつば | URL | 2010年02月19日(Fri)13:27 [EDIT]


 
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