四葉のクローバー/晴れの国岡山から

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銅メダル

 高橋大輔さん、銅メダル取得おめでとうございます!
岡山県民も、倉敷市民も誇りに思っています。男子フィギュアスケートでは、日本男子で初めてのメダル獲得となりました。
 世界一のステップと感情表現は、観客に一番の感動を与えたと思います。そして、金メダルを取りに行くために4回転ジャンプを入れての演技に挑戦しました。そういう強い気持ちで臨んだことが、銅メダルに繋がったと信じたいです。自分に納得のいくやり方ですべられて満足だったと思います。
 毎日の長い練習、お疲れ様でした。また、4年後のオリンピックでの活躍を期待していますよ。
 

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長崎と坂本龍馬

坂本龍馬像
 長崎の風頭公園の見晴らしのよい高台にこの坂本龍馬像が立つています。私は、高知県の桂浜の坂本龍馬像も見たことがあります。同じようにブーツをはいて、腕を組んでいたように思います。坂本龍馬のことは殆ど知りませんでしたが、今NHKの「龍馬伝」の放送もあって少しわかり始めました。全国でも今龍馬ブームのようです。
 龍馬はかなりの地域を移動しているようです。高知生まれで東京へ剣術修行へ、長崎で亀山社中という商社をつくり、京都で33歳で亡くなりました。
 坂本龍馬の一番の功績は、明治政府の構想を作ったということだと思います。
亀山社中
 亀山社中は、のちに海援隊と名乗りました。海運業、通商、商業活動や倒幕運動などにも加わったようです。龍馬は紀州や土佐などの脱藩浪人とともに活躍しました。
 館内には、龍馬のブーツのレプリカ、書状の写し、海援隊士の写真などが展示されているようです。一般300円、開館時間は9時から17時、年中無休です。
司馬遼太郎と竜馬
 司馬遼太郎は、33歳で亡くなり歴史に埋もれていた坂本龍馬を「竜馬がゆく」という小説を書いて、一躍有名人に押し上げました。江戸末期に生を受けて新しい時代に遭遇した龍馬は、新しい政府のあり方を構想した人と書かれているようです。(まだ、読んでいません)
 今テレビでも、黒船ペリー来航により、文化の違いにショックを受けた坂本龍馬が描かれています。吉田松陰、桂小五郎とも会っていましたね。龍馬は自分から求めていろんな師に会って学んでいったようです。勝海舟、西郷隆盛などとも会っています。
 龍馬は33歳であまりにも若くして亡くなりました。生きていたら明治政府の重鎮として力を出していたかもしれません。
 司馬遼太郎は、小説では「竜馬」と表記しています。実際の龍馬に会ったわけでもないので、竜馬とされたのでしょうか。龍馬に対する敬意の表れだとも思います。
 また、坂本家は下級武士だったのになぜたくさんの財力があったのかということをテーマにしたテレビ番組を見たことがありますが、その時には、坂本家は明智光秀の子孫ではないかという説をとっていました。お墓の家紋とかも調べたようでした。歴史には、まだまだ謎が多くありますね。

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長崎観光

 長崎と言えば、原爆を思い出します。1945年(昭和20年)8月9日11時02分、アメリカ軍が原子爆弾を長崎市へ投下し、市民24万人のうち約74000人が亡くなりました。建物の約36%が全焼または全半壊という恐ろしい状態になりました。
 この写真は、その後に世界の平和を願って作られた、長崎平和公園にある有名な「平和祈念像」です。この祈念像は、平成11年に修復工事を終えて、今でも作りたてのように青く輝いていました。この前で長崎旅行の記念撮影をするのが定番ですね。
平和公園
 下の写真は、長崎原爆落下中心地の碑です。この碑の上空500メートルで炸裂した原爆は、一瞬のうちに多くの尊い人命を奪いました。塔の前に置かれた原爆殉難者名奉安箱には原爆により爆死された方、被爆者でその後亡くなられた方々の氏名を納めているそうです。
 この近くには、被爆当時の様子を残した土砂が保存されています。欠けた茶碗や溶けた鉄などががらくたとなって土の中に混ざってころがっています。一瞬にして市民の日常が破壊された様子が生々しく感じられました。そして、そばを流れている川には、当時水を求めて集まった市民の遺体が折り重なって流れていたそうです。広島なども同じですね。また、各地のB29による焼夷弾での攻撃でも死者が多数出ました。悲惨な戦争に二度と巻き込まれませんようにとお祈りしました。
爆心地
 次は長崎の眼鏡橋です。1634年興福寺の2代目住職、黙子如定(もくす)がかけたそうです。石造り2連アーチ橋は、珍しい物のようです。中島川という川には、通りごとに橋がかけられていて、橋の多さに驚きました。すぐ近くには寺町といってお寺が10ほど並んで建っていました。お寺の参道?として橋がかけられたのかなと、私は思いましたがどうなのでしょうか。
 近くの江崎べっ甲店に寄って、緻密なべっ甲細工や現代風なネックレスなども見て目の保養になりました。また、光永寺という福沢諭吉が19歳の時に1年間蘭学を学んだ寺もありました。
眼鏡橋
 この像は、長崎の眼鏡橋をかけた興福寺の2代目住職、黙子如定(もくす)です。地位も行動力もあったお坊さんだったのでしょうね。橋の両側は散歩ができるように十分な広さがあり、草花や造形物もあり楽しめそうです。下の川にも下りて写真を撮ったり、鳩を見たりと観光客や市民の憩いの場になっていました。
僧侶

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雲仙温泉

 長崎の島原半島にある雲仙温泉に行きました。島原半島の真中には、大噴火で有名な雲仙普賢岳があります。その東側は島原市で西側に雲仙温泉があります。雲仙温泉は標高約700mで外国人の避暑地として作られ、夏は札幌と同じ気温のようです。
 橘湾という海に面している小浜でも温泉が出ていて、湯煙があちこちで上がっていました。そこから山道をくねくねと登って行きます。雲仙温泉に着いた頃には外はもう暗くなっていました。そして、道路の両端には雪が氷状になって残っていました。
温泉地獄1
 私たちが泊まったのは、雲仙スカイホテルでした。「湯めぐりパスポート」が着いていたので、他の3つのホテルのお風呂にも入ることができます。私たちは九州ホテルのお風呂だけ入りに出かけました。露天風呂が気に入りました。熱いお湯が外気に触れて冷えて、長湯ができました。湯の中へ石の長いすが置いてあり、足も伸ばせてくつろげました。
温泉地獄2
 上の写真は、八方地獄だと思います。雲仙温泉は、徳川幕府の時代にキリスト教徒に対する弾圧が厳しくなり、「山入り」と称して教徒を温泉におくって地獄責めをして改宗を迫ったそうです。地獄温泉は、清七地獄、お糸地獄、大叫喚などという名前がついています。社会が平安でなければ、宗教の自由も守れないようです。
雲仙スカイホテルの夕食
 雲仙スカイホテルの夕食です。早々と写真を撮ったら、食べ始めてもつぎつぎにお皿が出てきました。これから、2皿は追加で出ました。格安旅行なので、これで満足でした。座布団の上に使い捨てカイロが写っていました。1月中旬の旅だったので、使い捨てカイロも用意していきました。

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柳川(福岡県)

 福岡県の柳川を初めて訪れました。こたつ船で水郷めぐりをすることが有名な場所です。私たちのバスツアーも希望者は一人1350円で参加できたので申し込みました。ところが、思わぬ寒波の襲来にあい広島の高速道路が雪で通行止めで2号線を走りました。思いの外時間がかかり「柳川水郷めぐり」は中止となってしまいました。
 しかし、どんこ船の写真だけは撮れました。修学旅行の生徒さん達が船に乗り込んでいる所です。川の両岸には大きな木や碑が多く、また藩政時代から昭和初期の建物が見られるそうです。
 この川は堀割で、農業用水や防火用水、川の氾濫を防ぐという役割もあるようです。川が縦横に巡っているせいか、うなぎのせいろ蒸しが名物で、この辺りの道には香ばしいうなぎの香りが漂っていました。
柳川水郷めぐり
 この船着き場の近くに、「御花(おはな)」という藩主の別邸がありました。「御花」はこの土地の名前から由来しているそうです。
 この建物は、明治42年から1年かけて作られたもので、当時富豪の間で流行っていた西洋館の正面玄関に続く日本建築の大広間という形になっています。今では、100畳の大広間は宴会やウェディング会場に、殿様や奥方達の居室であった場所は料亭として使われています。
御花・おはな
 もう少し歩いていくと商家が立ち並んだ場所に出ました。おひな様の時に飾る「さげもん」というかわいらしい、きれいな手芸品がありました。昔の奥女中さんが作った物が広まったと言われています。
 人生50年と言われた時代に、長寿を願って作られたとか。7×7=49とプラス1で50個の物をさげたようです。今では中央に大きな手まりを2個下げて51個にしていて、うさぎはおとなしくても元気、鳩は平和、桃は実がなるようにと、1つ1つの物に子への願いを込めて作られています。楽しそうで、いつか作ってみたいと思いました。
さげもん
 柳川には、他には北原白秋の生家がありました。造り酒屋で、立派な門構えの大きな家でした。バスの時間のために中へは入りませんでした。北原白秋記念館もあり、ファンには見逃せない場所だと思います。
 また、檀一雄の石碑は、こたつ船から見られるようです。柳川城跡などもあります。柳川高校は野球で有名ですね。
 柳川は福岡県と言っても南部に位置しているのを今回初めて知りました。有明海に近く(面しているのかも)、北に約20㎞行くと佐賀県佐賀市へ、南へ約15㎞行くと大牟田市(福岡県)という位置にありました。今までテレビニュースなどで柳川のことをよく聞いていましたが、博多の周辺と思っていました。今回の旅行で私の福岡県のイメージが修正されて良かったです。

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